TOP→



                        
                |2012-02-19|遙かなる運慶の極彩空間
              今甦る東大寺大仏殿 幻の巨大仏像|BSジャパン  12-01-03放送|
    


     東大寺大仏殿の、奈良の大仏の名で親しまれている盧舎那仏(るしゃなぶつ)。
    脇侍(わきじ)は向かって左が如意輪(にょいりん)観音、右が虚空蔵(こくうぞう)菩薩ですが、
    修学旅行時は脇侍の存在に気づきませんでした…
     運慶ら慶派の南大門の仁王像も有名ですが、鎌倉時代の修復時の大仏殿は今よりも大きく、何と!
    かつて大仏殿には巨大な四天王像があったというのです。
     番組では運慶を初めとする慶派の作品や、なぜ存在がわかったのかという経緯、現代の修復技術の紹介、
    効率的に早く完成させる方法を解説し、資料を基に増長天の3DCGを作り、かつての大仏殿を甦らせる
    という、とても見応えのあるものでした。(再放送ですが未見) 
         
      

     約20年前に発見された資料から 

      

     四天王像が存在した事が判明 

     東(図右下)の持国天(じこくてん) 

     南(図左下)の増長天(ぞうちょうてん)

     西(図左上)の広目天(こうもくてん) 

     北(図右上)の多聞天(たもんてん) 

     広目天は快慶 

     持国天は運慶 

     増長天は康慶(こうけい)  

     多聞天は定覚

     六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)の運慶像  

     藤原定家の日記『明月記』によると 

     東大寺の四天王の本様・1/10大の像を見たとある 

     120cm の本様(雛形)を10倍にして造る  

     東大寺の四天王は12mの大きさ  

     本様(雛形)と思われる高野山の四天王像

     彩色の参考となる海住山寺(かいじゅうせんじ)の四天王像(非公開) 

     多聞天(黒=紺青)持国天(青=緑)増長天(赤)広目天(肌)

     武家達に命じて修復計画を実行したのは源頼朝  

     現代の大仏は鎌倉時代とは異なり資料が乏しい為 

     CG再現は四天王のみ 持国天 

     多聞天
          
     広目天 

     そして3DCGの康慶作・増長天 

     レポーターの東儀秀樹さんとの比較 

     鎌倉時代の大仏殿想像図



     源頼朝の義父、北条時政の菩提寺・願成就院(がんじょうじゅいん)には、運慶が造った仏像が5躰
    現存しています。他にも奈良国立博物館に委託され、非公開・TV撮影初の海住山寺(かいじゅうせん
    じ)の四天王像など、拝観不可な仏像を紹介してくれるのは本当に有り難いです。
     南大門の仁王像が8m強なので、四天王像は更に4m程大きかったんですね。
    皮肉にも、源氏に味方した東大寺を焼失させた平重衡(興福寺も?!)のせいで、運慶達が修復した仏像
    が造られ、そして戦国時代に焼失……
    ……ああ勿体ない………… 観てみたかったです…………
    
     それにしても毎回驚くのは、ちゃんと記録が現存する事です。
    藤原定家の日記でなければ、たまたま見に行った四天王像に興味を示さなければ遺らなかっただろうし、 
    醍醐寺の図面がなければ、高野山や海住山寺の仏像がなければ、仏師やデザインや色彩は…… 
    (でも、頼朝のせいで中尊寺金色堂建立の資料が残っていないという皮肉)
     海住山寺の四天王像は、大きさが30cm強だそうです。(並ぶと左右対称のポーズ)
    今フィギュアといっても通じる洗練されたデザイン、精巧で小さいのに迫力がありました。
         東儀さんの淡々とした語りや、拝観する時に口元を覆う仕草など、控えめで上品で良かったし、天野
    さん(キャイ〜ン(文字化けするので〜))のナレーションも自然で、内容も面白くて映像も充実と、
    本当に素晴らしい番組でした。
    (…『別冊太陽』運慶に、この記事の一部と画像が載っていました。
    番組では増長天が運慶となっていたのですが、ここでは『別冊太陽』の表記にしました)
    やっぱり運慶(慶派)はいいですね!